認知症のスピリチュアルな意味 No.34

老齢による認知症は自分が自分でなくなってしまう上に、介護をする側としてもまともな話が通じないので精神的なストレスを強く感じやすい病気です。一見不毛で希望が見いだせない認知症にはどのような意味があるのでしょうか。スピリチュアル視点から認知症の存在意義を解説いたします。

なぜ認知症になるのか

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この世への執着を絶つためにある

スピリチュアル視点で認知症になる理由を読み解くと、まず本人が死を前にしてこの世に対する執着を軽減させる意味があります。現代では医療の発達によって、この世的な肉体の延命がかなり施されているといえるでしょう。その為、魂的にはすでに成長のカリキュラムをすべて終えて帰天する段階に入っているにも関わらず、肉体の方が寿命を無理やり引き延ばすケースが多くなりました。

いわゆるアルツハイマー病に関わらず、歳をとると記憶力が弱くなり最新のことを覚えるということが難しくなります。さらに物事を思い出すのに時間がかかったり『度忘れ』が多くなるということも、結局この世で活動するために必要な脳機能が失われていっているということです。それらの現象はすべてこの世からあの世へ旅立つ際に、『執着』を残さないための神様からの慈悲とも解釈できます。

現役バリバリで気力・体力も充実している最中に、いきなり命が断たれてあの世へ行くとなったらすごく悔いが残るでしょう。やはり「もっと生きたかった」という執着が残り、苦しむことになります。しかし視力は悪くなり、耳も遠くなり、頭もボケてきてこの世に関心がなくなってしまうからこそ無理なくあの世へ旅立てるというわけです。

他人や周囲への関心が薄れるとなりやすい

まだそれほど老齢ではないのに認知症になってしまう場合があります。そういった場合、自分以外のものに対する関心を持たなくなったり、何をするにも面倒くさくなってしまうという心の状態が脳を認知症にさせてしまうのです。歳をとるとだんだん世の中のことに関心がなくなっていくのは自然の流れではありますが、あまりにも自然の流れに身を任せすぎてしまうと認知症は加速してしまいます。

人は何かをあきらめたり、希望を持たなくなることが一番脳細胞が死滅するという説がありますが、他人や周囲、社会への無関心、という心の状態は、まさに脳細胞が死滅する方向に向いているといって良いでしょう。

薬を常用して肝機能や腎機能が弱まると認知症になる

肉体的な原因で認知症を加速させてしまう要因もあります。それは薬の飲み過ぎです。ハルシオンやマイスリーなどの眠剤系の薬や、血圧を下げるアムロジピンなどは副作用でアルツハイマー病を誘発するものがあります。長年、薬を大量に飲み続けていると、腎臓や肝臓に負担をかけ、さらに有害化学物質の蓄積で本来の機能が低下していきます。解毒の機能を持つ肝臓が弱ったり、体内に取り込まれた水分をろ過して排出する腎機能が弱まることで今まで平気だった薬の副作用が発動しだすようになるのです。

つまり薬の飲み過ぎ(化学汚染)は内臓の防衛機能が低下します。にも関わらず今まで通りの薬の量を飲むことによって認知症を推し進めてしまうのです。このようなケースの場合は完全に肉体的な理由で認知症になってしまっているので、薬の量を少しずつ減らすようにしましょう。この要因に気づかず薬を飲み続けると1日1日目に見えて認知症が著しくなってしまいます。

認知症を予防するにはどうすれば良いか

知的生活や知的訓練ばかりしていてもなってしまう

ボケ防止のために脳トレ問題をやる人や、「指先を動かしているとボケない」といって楽器の演奏練習をする人がいます。タレントのビートたけしがボケ防止のためにピアノを練習するようになったという話は割と有名です。

もちろん、それらの訓練は脳や手先へ刺激を与えて効果はあります。やらないよりは断然やった方が良いでしょう。しかし、ここで刺激になるポイントは指の動きではありません。何かというと『新しいことをする』という脳への刺激ということなのです。ボケないようにということで何か継続的に努力をしていれば、だいぶ認知症を遅らせることができます。

新しい人に会うことが最良の認知症予防

脳トレ問題をこなしたり、ピアノの練習をすることも良いですがもっと効果がある活動があります。それは『人と会うこと』です。そしてできれば初めて出会う人に会う、ということが一番の認知症予防になります。

私の知る限り、どんなに老齢の方でも絶えず様々な人と会っている人でボケた人はいません。人と会うという行為は『適度な緊張感』という良い意味でのストレスを与えてくれます。特に日々違う人と会って話をするライフスタイルは認知症予防としては理想的です。

いつも会う人が、常に決まった人であっては刺激効果がどんどん落ちていきますので、できるだけ日々違う人とたくさん会うようにしましょう。それによって自分の身なりや気持ちを引き締めたり、他人の目を無意識に気にすることで脳が活性化されます。老夫婦で伴侶とだけいつも話をするというシーンは見ていて微笑ましいことですが、いつも同じ人としか会わないのでは認知症の予防はできません。近しい人だと甘えが出てしまうので場合によっては認知症を進ませる要因になってしまいます。

ですから、できるだけ他人と合うようにしましょう。他人と自分との間で、相手の話を聴いて自分の話を聴かせるという行為が、スピリチュアル的に見たらそこに意味を創出している、ということになるのです。その意味とはまさに『学び合う』という行為で、人間の世界そのものが学び合いをするようなシステムになっています。

「まだまだ学べることがある」という既成事実を作ってしまうことで、魂の成長がまだあるという判断になるのです。肉体がまだ健康であれば、もう少しこの世に残ってさらなる経験を積むように進んでいきます。つまり生きる意味を自分から創り出すことで元気で居残りができる!という仕組みになります。

読み書きや話をするなど肉体機能を維持する努力も必要

認知症予防に一番良いのはできるだけ他人に会って学び合うことですが、同時に肉体面のケアも忘れてはいけません。人間は心と身体の調和によって元気に生きていけるように創られているので、肉体機能をできるだけ保持する努力はどうしても必要です。

その肉体機能の維持は、基本的には食事と運動で、食事はできだけ有害な添加物(有害化学物質)をとらない自然に近い食事が理想的です。運動面でいうと、高齢になった場合は激しい運動をするとかえって体調を崩すのでウォーキングや水中歩行のようなゆるめの有酸素運動がお良いでしょう。

食事と運動は基本中の基本ですが、ここで一歩認知症予防の大事な訓練としては、本を読むことと、文章を書く能力を落とさないようにすることです。さらに人前で話をすることも効果が高いといえます。本を読むということはまだまだ新しい情報や知識を脳に入れようという気持ちの表れなので心理面でも非常に良い効果を生み出します。文章を書くということは必然的に漢字を記憶から引っ張り出す機能を使いますし、文章表現の面で組み立てや流れを考えるなどの創作能力も使います。さらに人前で話をするということは気持ちに張りが出ますし、感性、理性、知性すべて使いますので人間としての機能保持には効果的です。

老眼は認知症予備軍のサイン

老眼になるということは、良くも悪くも「出来上がった状態」になってしまっていることを意味します。良い視点からいうと、自分というものがしっかりと確立されて芯から自分の悟りに自信を持ち始めたことを意味するのですが、マイナスの視点からいうと新しい考え方や、最新情報・知識を拒絶するという深層心理の表れでもあるのです。

ですから、たいてい40代前後から老眼が始まりますが、老眼が始まった=脳や心理面に柔軟性がなくなり始めているということがわかるのです。その現象として眼のレンズの収縮、調整が効かなくなって老眼の状態になるわけです。

*老眼や視力が悪くなる理由は他にも原因がありますので、別途詳しく記事にしたいと思います。

今まで修練してきた事を止めないで、努力を継続する

認知症が始まる起点として、今まで継続していたことに対して急におっくうになったり、興味関心がなくなってしまい止めてしまうということがあります。

たとえば、山登りが趣味で毎年登山に出掛けていた人が、急に気力がなくなり面倒になって行かなくなったり、歌舞伎が好きで事あるごとに観に行っていた人が、だんだん出かけるのが面倒になって行かなくなるというケースです。

他にも毎日走ったり筋トレをしていた人が、疲れを理由にやらなくなる。パソコンを使って文書を打ち込んでいた人が急にパソコンを触らなくなる。歌が好きでカラオケに行ったり、自宅で歌番組を好んで見ていた人が急に「最近、つまらない」といってカラオケにも行かなくなり歌番組を観なくなるなど、以上のような変化があった場合は認知症になりやすい状態といえます。

こうした現象こそ、この世で生きている意味を本人自身が感じられなくなってしまっている証拠なのです。本人が自分の存在価値や生きる喜びを失ってきているがために、老化を早め、死期を早めることを引き寄せてしまうのです。そうなると当然認知症になるリスクも高くなります。

家族が認知症になった時の介護する側の意味

もうすぐ亡くなることの知らせ

家族が認知症になってしまうのは、やはりショックでしょう。ちょっと前の時代であれば脳よりも肉体の内臓の方が老齢によって生命を維持する力がなくなっていたので、あまり痴呆の症状はメジャーではなかったと思います。しかし、仮に60代後半あたりからでも、その人にこれ以上の成長が見込まれないという場合は認知症になることがあります。

認知症になるということは、スピリチュアル視点でみるともはや魂の成長が望めない状態なので当然、死期も近いといって良いでしょう。ただ認知症になっても数年生き続ける人もいます。こうしたケースは本人の魂の問題ではなく、周りの家族やその人を介護をする人の成長のために生きながらえているといます。

認知症患者への対応でその人の愛を推し量ることができる

認知症患者の介護および相手をして、お世話をすることの大変さは尋常の苦労ではありません。まともな人でも一人の認知症患者の相手をするだけでも、通常の健常者の3~5倍以上のストレスがかかると思います。何を言っても意味不明の答えがかえってくる、突然発狂する、徘徊するのについて行く又は止める、など何1つとして「普通」にはいかないわけです。

しかし、それだけに相手をする人の器が試されることになります。認知症患者に対してはけして否定や批判してはいけないといいますから、すべて受けとめて肯定しなければいけないわけです。たとえば自分の親が認知症になってしまってお世話をする場合、自分の親であってもまるで幼い子供を相手にするように接しなければいけません。

しかも、そのような対応を1回、2回ではなく、延々とやり続けなければいけないわけです。認知症の親を介護している現役世代の家族の方がうつ病になって自殺したり、精神病を患ってしまうことが多いのはそれだけしんどいからなのです。もしくは世話をしている側がブチ切れてしまい、暴力をふるって殺してしまったりする事件もあります。認知症の人たちの世話というのは、その道のプロであってもかなりきつい仕事なのではないかと思います。

お世話をする側としては治る見込みの少ない患者に対して常に優しく接するわけですから、かなりの精神修行と肉体修行になるでしょう。そういったところで徳を積む人になるか、もちしくは自身がイライラしたりヒステリーになる人と分かれます。しかし、これでイライラしてしまっても誰も責めることはできないと言うくらい、認知症の人の世話というのは非常に難しい問題なのです。

今回の半生や過去世の恩返しと償いの意味もある

スピリチュアル視点でみた場合、過去世において非常に借りがあるという関係であったり、恩義を返したいなどといった特殊な事情がある間柄の場合は、必然的にそうした介護をすることになる場合もあります。

親への感謝行として、そういうシチュエーションになる場合もありますし、過去世に限らず今世での利他行という無償の奉仕や、恩返し的な行為としてそうした関係になる場合もありますが、いずれにしても介護する側としては、自分や自我を抑えて人に尽くすという経験や機会を与えてもらっているとも解釈できるわけです。

認知症の家族に対してどう対応したら良いのか

認知症患者の言うことを否定しない

先ほどもいいましたが、認知症患者が言うことは支離滅裂で意味不明なのが当たり前ですからそれらをいちいち否定していたらきりがありません。また認知症の患者本人は当然普通に話しているつもりですから、けして馬鹿にしたり、ちゃかしたり、無視してはいけません。

言っていることは支離滅裂でも、感情はちゃんと持っているわけですから1人の人間として尊重と尊敬の念を持って接することを心がけましょう。また認知症と診断されて普段はめちゃくちゃな話をしていたとしても、調子の波があるらしくある時急にまともに戻ることもあります。ですから、いかなる時も対等に話を聴いてあげるようにして下さい。

また認知症患者は視野が狭くなり、目線の真ん中あたりしか認識できないようです。そのため話をする時は真正面に立ってしっかり目を見て話しをするようにするのがベストです。

手を変え品を変えて刺激を与える

認知症の人に限らず、人間は五感のすべてを使うと脳に良い刺激を与え発育や能力開発に良い影響を与えるといわれています。ですから当然認知症の人にもあの手この手使って様々な種類の刺激を与えることは認知症の進行を遅くしたり、改善になる可能性が高いでしょう。

楽しかった時の写真を見せたり、今はタブレットなどで思い出の動画などがあれば見せてあげるのも良いです。また香りのする物を置いたり、手で触って楽しむおもちゃなども良いかもしれません。昔好きだった音楽を聴かせることも良い刺激になります。まだ歩けるようであれば家族の人と一緒にお茶をしに行く、カラオケに行く、など楽しい時間を多くの人と一緒に過ごすというのは非常に良いでしょう。

この時、心がけることはポジティブで楽しい気分になる方向に誘導できるものです。いくら刺激を与えるといっても昔のネガティブな思い出を話したり、嫌いな人の話題をするのはよくありません。本当は笑うことが一番良いので、本人が楽しくて笑えるものを用意してあげることができればベストです。大笑いすることは認知症だけではなくすべての病気に改善効果があるといわれています。

言葉の力を活用する

最後に『ことばの力』をお伝えしておきます。言葉には物理的な力が宿っているので、認知症の患者相手に非常に苦労が多いこととは思いますが、けしてネガティブな不平不満、愚痴は口にせず、感謝の言葉や、好き、愛している、といった言葉を意図的に患者に向かって発するようにしてみて下さい。

認知症になると、話しかけても声をかけても無反応でぼーっとした反応の時がありますが、聴くという機能が故障したわけではないので必ず聞える音は聴きとっています。自分の親が認知症でわけがわからない状態だったとしても、耳元で「ありがとう」と何度もつぶやいていると、どんなにぼーっとしていても魂ではその言葉をしっかり聴き取っていますので、良い言葉をどんどん発するようにしましょう。

認知症でもたとえば、アルツハイマー病がそれによって完全に治るという保証はありませんが、症状が良くなる、一時的に正気を取り戻す、といったことが起こる可能性はあります。言葉そのものに現実を変える力があるのは多くの実例が証明しているといえるでしょう。

*言葉の力について詳しく知りたい方は下記画像(リンク)をクリックして小冊子「奇跡を呼ぶあんま師 竜玄」をお読みください。

まとめ

・認知症はあの世へ旅立つ時に、この世に対する執着を軽減するための慈悲でもある

・認知症は薬の飲み過ぎで発症や進行を早めることもある

・認知症予防で一番効果があるのは、常に違った他人と会って話をすること

・認知症予防には、食事、運動、新しい趣味などのチャレンジは必須

・家族が老齢で認知症になった場合は、ほぼほぼ魂の使命が終わったと解釈する

・認知症患者に対しては否定はしない

・言葉の物理的な力を活用して改善する

私も認知症の父を持ち、介護の経験が多少ありあす。同時に足腰の方も非常に弱くなり要介護となるほど歩けない状態になっていました。私としては父に対して親孝行や恩返しができていないという感覚を持っていたので、なんとか介護で恩返しができないものかと思っていましたが、実際には認知症になっても父にはプライドがあり介護を執拗に断る態度をとっていたのです。

いっそ「頼む」と言ってくれた方がまだやりようがあったような場面も多々ありました。結局、父は薬の飲み過ぎで肝機能、腎機能が低下して一時意識不明となり入院したものの、脳の数値が正常に戻ったら今度は認知症専門の施設に移動されました。通常の病院に入院していたころ、あまりにも暴れるので病院から睡眠薬を通常の人の2倍を投入されたため今度はずっと起きないで目を覚まさなくなってしまったのです。

その時、私は耳元で「お父さん、ありがとう」と10回ほどつぶやいたところ、なんと急に目を覚まして、一時的に正気に戻りました。調子が悪い時は息子の私も認識できない時があったことを考えると、あきらかに私の目を見て名前を呼んでくれたのです。これは言葉の力による奇跡と言っても良いと思います。

その後認知症専門の施設へ転院したのですが、そこには父よりももっとひどい認知症患者がたくさんいて、半分は老人ホームにような感じでした。ですので、かえって認知症が進むのではないかと心配になったのです。

しかし、実際には自宅に居た時と比べるとだいぶ元気になっており、話口調も、声量も以前はしゃべるのもやっとであったのが、あきらかにはっきりと力強く話せるようになっていました。それまでは他人と会うのも嫌がって半分引きこもりのような状態でしたから、見知らぬ大勢の人、見知らぬ施設、という新しい環境下に置かれたことであきらかに刺激になったことは確かでしょう。

認知症は人間の老化現象の1つでもあるので、回復や改善にも限界はあるかもしれませんが、やはりあらゆる側面からのケア次第で多少は進行を食い止めることができます。またアルツハイマー病患者の死亡後、解剖による検証では、アルツハイマー病にかかっても認知症が発症する人と、発症せずに記憶力も平均のままの人がいるそうです。その患者さんの生前の違いは外出を頻繁にしていたか、引きこもっていたかの違いと、よくテレビやコメディ映画でよく笑う生活をしていたか、ほとんど笑わずムスっとしていることが多かったの違いだったそうです。

このことからも、認知症対策として人と会う、外出する、よく笑う、というポジティブな行動をすることが鍵となることがあきらかといえます。これらの実例を参考にして、認知症患者を持つ家族の方は余生をできるだけ楽しく過ごさせてあげるようにしてみて下さい。

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