恋は盲目という言葉がありますが、人は枠や規定など関係なく恋をしてしまう事があります。特に禁断の恋になればなるほど燃え上がります。本記事では、盲目の恋に走る心理の分析と、実らない恋への対処法を紹介します。
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人はなぜ実らない恋に燃えるのか
恋愛に垣根はないと言いますが、一般的な不倫や、中でも先生と生徒の関係、奥さんの姉さんや、妹、友達の恋人や奥さん、など対象が道徳的、社会的にも恋愛をしてはいけないとされている人でも関係ありません。むしろ、そのような禁断の恋愛だと余計に興奮したり、スリルに刺激を覚えたりします。また絶対に実らないと頭ではわかっていても、煩悩の炎のように燃え上がってしまう場合があります。
恋愛とは不思議なもので、ある時点までは相手に何も感じなかったのに、ある日突然、なんらかのきっかけで急に意識し始めると、まるでインフルエンザにでもかかったかのように恋に火がついてしまいます。絶対実らないとか、結ばれない恋であればあるほど相手を理想化して、恋愛そのものを美化し過ぎてしまいます。七夕の織姫と彦星が典型的な例ですね。1年に1回だけ会えるという限定枠こそ、七夕をあそこまでロマンチシズムを感じてしまうわけです。
恋の病とはよく言ったもので、その熱の上げ様は、まるで病気にでもかかったかのように相手を恋しく思えてしまいます。冷めた話をすれば、織姫や彦星だって、もし結ばれて毎日一緒に生活するようになったらどうでしょうか。綾小路きみまろさんの「あれから40年・・・」の世界になるのではないでしょうか。恋のキューピッドという言葉がありますが、ギリシャ神話の頃から、恋の盲目性をキューピッドの矢に刺されると突然恋愛に苦しみだすという形で、恋あるあるを表現されてきています。
では、なぜ恋してはいけない相手とわかっているのに、そこまで恋い焦がれてしまうのか。それはお酒などアルコール依存や、麻薬などの中毒症状に似ています。つまり、恋をすると無性に心が高揚します。不倫の動機の1つは刺激を求める心理にありますが、恋をすると、アルコールで酔っ払ったような高揚感があり、酔ってしまうのです。酔っ払いは人の忠告に聞く耳を持ちません。自分の気持ち良さのままに行動します。それでだいたい失敗をやらかします。その心理に非常に近いのです。人は高揚感を覚えると生きる気力や、エネルギーが湧いてきます。実はこれは誰もが潜在的に求めているものなのです。
余談ですが、禁断の恋は、刺激が魅惑になるのですが、受験や仕事のプレッシャーなどで、がんじがらめになっている心理の時にも、潜在意識で引き寄せたりもします。やはりストレス発散、解消の願望の矛先が、恋愛願望に変化した場合も実らない恋に燃えてしまうケースもあります。
恋は暴走列車
刺激や高揚感を求めていると、引き寄せの法則で実際にそうしたきっかけに遭遇します。たとえばコンビニのレジの女性とのお金の受け渡しで手と手が触れる、駅で接触して縁を持つ、落としたハンカチを拾ってあげる、など見知らぬ異性との出会いから、会社の同僚の意外な優しさなどの一面に触れる、たまたま話す機会があり趣味が合ったり、相手のちょっとした仕草などで突然興味を持って惹かれる始めるなど、様々なきっかけがやってきます。
そのきっかけが、まさにキューピッドの矢であり、恋と言う名の病気のウィルスが侵入したということになります。そこからの進行は早く、しかも自分自身でどんどん相手を好きになるような暗示をかけていきます。これは酔いたくて、アルコールをペースを早めてガバガバ飲む行為に近いかもしれません。酔い始めると、勝手に運命的な出会いだとか、自分にとって必要な人だとか、のめり込むように妄想が進みます。
スピリチュアル的な視点で言うと、確かにその人にハマるということは何らかの意味はあります。過去世の縁やカルマのある人であることは間違いありません。しかし、それ以上に自分から恋愛の刺激や人生の高揚感を欲して、妄想にのめり込もうとする心理があるわけです。こうなると、不倫だろうと、お互いの立場や釣り合いなどは関係なくなり、他人から反対されればされるほどのめり込む深層心理が人間にはあります。
これが度を越した行動になってくると、ストーカーのようになったり、相思相愛になった場合は駆け落ちや、心中という形にまでなるのでシャレになりません。自分でも感情や行動を制御できなくなってしまうのです。政治家や芸能人などが、冷静に自身の立場を考えたら、とてもできないような事を平気でやってしまうようになります。一般の人でも、一時の感情で、長年連れ添った伴侶と離婚してしまったり、子供の事も考えない自己中心的な行動をするようになります。
特に、男性は暴走しがちで、禁断だろうと正当だろうと、とにかく結果を確認したがります。そのため、かなりのリスクを犯してでも行き着くところまで行ってしまいます。しかし、禁断の恋の行き着く先は、うまくいっても、いかなくても、ろくな事にならないということを知っておきましょう。白黒つけないと気が済まない人もいますし、白黒ハッキリさせる方が良いとか、カッコいいという考えをする人がいますが、現実問題として人生においてはグレーな部分は、グレーのままにしておいた方が良い場合もあります。白黒と、グレーは使い分けが肝要なのです。
人は、愛したい願望も持っている
人は、刺激や高揚感、トキメキや、ワクワクなど、恋愛特有の何とも言えないきらめきを、潜在的に欲するという本能があります。ですから、今のパートナーとの関係に安住していたり、まして不満などがあると、浮気や不倫にそれを求めるようになります。これが、盲目な恋へと走らせてしまうのですが、他にも、人間には根本的に、愛したい、愛情を注ぎたいという本能も持ち合わせています。
パートナーから愛されていない感や、パートナーがおらず誰からも愛されていない感があると、自分を満たしてくれる人、自分を愛してくれる人を他に探すようになるものですが、そうした与えられたいという思いだけではなく、自分が愛情を注ぎこめる相手が欲しいという、愛したい願望も実は深層心理に本能としてあるのです。それは自分の子供や孫を可愛がりたいという気持ちに近い心理でもあります。
結婚して、子供がいない家庭などでは、ペットを飼うことでその本能を満たしているケースは多いでしょう。また高齢者が独り身となって猫を飼うようになったり、野良猫に餌を与えることにモチベーションがあるお爺さんやお婆さんは、どこの街でも見かけます。可愛がる対象が欲しいという心理を満たしたいという願望も、新しい恋人を求める動機の中には少なからずあるものです。
独身の男性が、アイドルオタクになるのも、トキメキを欲する心理と、愛したい願望の両者の心理の表れです。また主婦などが、ジャニーズや、韓流スターなどに熱狂するのも、同じ心理と言って良いでしょう。アイドルオタクの場合は、男性の父性から、年端もいかない少女や自分より若い女性を好きになるケースが少なくありませんし、主婦のイケメンファンの場合には、母性から好きになるケースもあります。ちなみに、アニメのキャラクターに恋をするのも、愛したい願望の対象が、理想という形で二次元の異性に出ている場合があります。
禁断の恋はなぜいけないのか
不倫や浮気、先生と生徒、社内恋愛禁止の職場での恋愛のように、禁断性のある恋愛は、やはり陥らないにこしたことはありません。そうした恋愛は必ず誰かが犠牲になります。本人たちは盲目なので、隠れてすれば誰の迷惑にならないと考えがちですが、そうは言い切れない部分があります、ら禁断とされるにはそれだけの理由があります。
浮気、不倫によって、パートナーの価値を再確認して、パートナーへの揺るぎない愛情が増すようであれば良いのですが、たいがいの場合は、浮気、不倫にハマると、伴侶から心も身体も、時間も離れていきます。先生と生徒の関係の場合、教師の公平性は失われますし、生徒も学業に集中できなくなりますし、進路にも影響を与えることがあります。社内恋愛などは会社のルールに限るので、比較的禁断性も害悪もそれほどありませんが、仕事に身が入らなくなるようでは良くありません。発奮して業績を上げて、会社に貢献できればむしろ良い影響なので、こちらは五分五分でしょうか。
もちろん、個々によって様々ではありますが、全体として見た場合は、やはり功罪の罪に傾く傾向が多いのです。特に自身が独身で、相手が既婚者という組み合わせの不倫の場合は、相手に何の悪い影響を与えていないと思っていても、相手にとって恋人である自身の存在自体が、相手の心を家庭に向かせることを阻害しているという罪があります。相手は「もう離婚するつもりだから」と言っていたとしても、自身の存在がよりを戻す可能性を打ち消している面がある以上、やはりけじめをつけてからでなければ罪となってしまうのです。ここで本当に相手への愛があるならば、辛いですが相手から去る、距離を置くことです。
あの人は、自分と一緒にいた方が絶対幸せになれる!と思えたとしても、離婚させる方向に誘惑することは、自分にも相手に罪を作らせてしまうことになります。仮に結果的に相手が離婚することになっても、そうした経緯を踏んで一緒になった場合、つまり何かが犠牲になって自分が幸せをつかんだ場合は、必ず手痛いしっぺ返しが来ます。幸せの前借りをするようなもので、しかもその幸せは長くは続かないものです。
禁断の恋に対する対処法
禁断の恋は、甘い蜜のようなもので、感情のコントロールが効かなくなり、理性的な判断もできなくなります。しかし、少しでも省みる気持ちがあるのであれば、うまく引き返す方向に舵を切った方が、後々の人生にプラスになります。
禁断の恋に限らず、何かを判断する時は全体的な視野と、自分の感覚の2つの視点で見るようにしましょう。このまま実らない恋に突き進みことで、周りにどのような影響を与えるか、という視点と、その影響を想像してみた時に自分の感覚はどう感じるだろうかと想像してみましょう。
たとえば、このまま不倫の恋を続けた場合、相手が離婚して、自分と結婚することが予想されるとしましょう。その時の周りの影響はどうでしょうか。相手の伴侶、また相手の伴侶の家族はどう思うでしょうか。もし相手に子供がいた場合、子供はどうなるでしょうか。またそのような犠牲のもとに自分の恋を実らせて、自分は満足でしょうか。手放しで喜べるでしょうか。また、立場が不倫の恋人から、新しい伴侶、パートナーとなった場合、本当にうまくやっていけるでしょうか。5年、10年続いたら、また新しい刺激が欲しくなりませんか。
結婚まではしなかったとして、この関係がいつまで続くと思いますか。結局、別れることになったとしたら、それまでに自分が周りに与えた影響をどう考えますか。、、、などなど。恋は盲目なので、今のきらめき、ときめきの瞬間しか考えられません。しかし、一歩立ち止まって、未来をイメージしてみた場合、周りにどれだけの影響を与え、自分がどう感じるのかを想像してみることは大事です。もしかしたら、盲目ゆえに、いや!未来を考えても絶対うまくいく!と思えるかもしれません。
確かに未来の事は、明日ですら、数秒後ですらわかりません。フタを開けてみたら、結果的にすべて以前よりうまくいってる、ということだってあり得ます。ただ、大事なことは、エゴだけで行動するか、周りへの配慮や影響を考えた上で行動するかで、実る結果も変わってくるのです。ですから、先ずは周りも、自分も、本当の意味でハッピーになる方向を軸にして対処することです。そして周りから祝福されるかどうかも基準にしてみて下さい。ビジネスや経営判断、軍事判断などでは、周囲の反対を押し切って成功するケースはありますが、人間関係においては、周囲から祝福されなかったり、喜ばれない行動は8割方失敗するか、不幸になります。
愛したい願望があるのに、パートナーは冷めきってそっけなく愛を注ぐ対象として、どうしても考えられない場合は、ペットを飼うのも1つの手です。ときめきが欲しい場合は、好きな芸能人の追っかけでもしている方がよほど害がありません。また恋い焦がれる相手が現れても、距離を必ず保っておくことです。なまじ恋人として付き合ってしまうとドツボにハマります。つまり良いお友達として末永くお付き合いする関係にしておきましょう。なまじ深く付き合うと、相手も自分も人間ですから、返ってボロが出たり、傷ついたりします。
まとめ 禁断の恋がうまくいくケースとは
禁断の恋の果てには、因果応報の法則により本当の倖せはありません。但し、100%ではありません。禁断の恋でもうまくいくケースも、稀にあります。
それは、たとえば愛してしまった人が既婚者であっても、不倫関係にはならず、一定の距離を保った関係でいることです。その中で、相手の夫が酷い暴力を振るう人で、本人も、家族も全員が離婚を望んでの離婚が成立した場合です。または、相手の伴侶が亡くなってしまい、独身になってしまった場合などです。そうした経緯で、結婚ないし恋人関係になる分には、もはや禁断ではなくなります。
イギリスの哲学者ジョン・スチュワート・ミルは、人妻のハリエットに恋をしましたが、清い交際を保っていたそうです(ハリエットは旦那と別居状態)。この間、ミルは鬱病の危機をハリエットの存在によって克服し、ハリエットからの影響で、哲学、思想における功績を打ち立てました。旦那さんが亡くなり未亡人になったハリエットとミル、後に結婚しました。結婚生活は永くなく、ハリエットは数年で亡くなってしまいましたが、こうしたケースの場合は、いかがわしい不倫とは明らかに異なります。
キーポイントは、やはり清い交際を保つことと、それをモチベーションにして良い仕事ができるようになることの2点です。
このようなケースを参考に、我欲にまみれず、エゴだけで突き進まず、社会に貢献する自分創りに活用する場合は、良い結果を生む場合があるので、ミルのような精神を持つようにしてみて下さい。