山口達也氏がアルコール依存症を克服するには No.8

お酒はなぜ存在するのか?

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神様の慈悲から人間にアルコールを与えている

元TOKIOの山口達也さんが、アルコール依存症疑惑(医師からはアルコール依存症とは言われていなかったそうですが)で、強制わいせつ事件を起こしてしまいました。

お酒は、非常にリスクが高い飲み物です。

今回の山口さんに限らず、お酒で自分の評価をどん底まで落としてしまう、関係者に多大なる迷惑をかけてしまう、取返しのつかない失態…などで失敗した人は五万といるでしょう。

いくら気持ち良い気分に浸れるとはいえ、なぜこれほど危険な飲み物が世の中に存在するのか?と疑問に感じる方も中にはいらっしゃるかと思います。特にお酒が飲めない方、飲まない方からすると酒乱や、酒の失敗談などには嫌悪感もあるでしょう。

そこで、酒に依存する、溺れるということが何を意味するのか神様視点で紐解いていこうと思います。

結論から言うと、神様は、「仕事などの緊張からの解放」「感情の解放」のためのアイテムとして慈悲の心からその存在を作ったと言えます。

健康面でも良薬となるアルコール

また、昔から、酒は百薬の長と言いますし、実際アルコールは、適量(1日20g・ビールならロング缶1杯程度)であれば血行を良くしたり、赤ワインであればグラス一杯(200ml)程度で血液をサラサラにする効能もあったりします。

しかし、多くのお酒好きの方は、健康を考えて飲むという動機や、緊張、ストレス、などの精神の解放という動機などではなく、シンプルにお酒を飲むと気分が良くなるからという理由からでしょう。

当然、ほろ酔いからへべれけに酔いつぶれるまでお酒の飲み方は人それぞれですが、現実としてサラリーマンであれば仕事のストレスや、会社内外の人間関係のストレスを発散するために飲むことが多いはずです。

アルコールは、神様が慈悲の1つで、ある程度のストレス発散や、本音を語り合う時に使ったり、日頃表現できない感情を解き放つために人間に与えたアイテムですから、そうした活用法自体は善いと思われます。

問題は何事も中道から脱して「~過ぎてしまう」ことにあります。つまり「飲み過ぎ」です。

良い薬も飲み過ぎると副作用が出る

なぜ飲みすぎてはいけないのか?

飲みすぎると肝機能に支障をきたしたり、理性のタガが外れることで様々なトラブルを引き起こすことが多いことから諸刃の剣のような面もあります。

人間は中道に生きることを神様から期待されているのですが、俗に言う酒に強い人、酒豪と呼ばれる人にとってはなかなか難しいわけですね。

本来適度に飲めば薬や、心の発散に使える酒も、それに依存してアルコール摂取量が多くなり、トラブルの元凶になってしまっては麻薬に近い害悪にもなります。

通常であれば、飲みすぎると気持ち悪くなって吐いたりするので身体が「これは飲みすぎだぞー」とサインを送るのですが、アルコール依存症になるような人は、耐性が強いためつい飲み過ぎて、記憶がなくなるとか、飲むと人格ががらりと変わる人が多いです。

これはスピリチュアル視点から見ると、完全に憑依現象と言えます。

飲み過ぎが良くない理由は、霊の支配を受けてしまって、本人の理性に基づいた考えとは全く違う行動をとってしまうからです。つまり本人が不在の肉体に、別の人間の霊が入って勝手な行動をするので、責任が取れない非常に危険な状態になるわけですね。

アルコールが入ると悪霊を引き寄せやすい

スピリチュアル視点でいうと、アルコールははっきり言って低次元の霊を引き寄せやすいのです。

アルコールを飲むと、理性が麻痺して感情や感覚が強くなります。これはある意味でスピリチュアル体質になるとも言えます。つまりその時の感情と同じ感情に共鳴する霊が寄ってきて憑くわけですね。

しかし、酒の力で理性が麻痺している状態でスピリチュアル体質になるということは、けして精妙な善霊を引き寄せることはありません。

どちらかといえば、動物的感情、本能に近い感性がむき出しになります。嬉しい気分で酒を飲んだ場合は短絡的に騒いだり大笑いするような、悪くはないけども今が楽しければ良いと考える少し短絡的な霊が寄ってきますし、悲しい時に酒を飲むととことん落ち込むような霊を引き寄せます。

俗に言う、笑い上戸や泣上戸というものですね。

また、色情霊なども呼びやすく、山口達也さんなどは女癖の悪さが噂されていたと聞きますから、色情霊が取り憑いて行動を支配されてしまったのでしょう。

あのような行き過ぎた行動をして過ちを犯す時などはほぼ完全憑依でしょうから、本人があまり憶えていないというのは納得できます。

スピリチュアル生活をしている人であっても、アルコールが入ると高次元の霊とは交信ができなくなります。

これは完全なる法則となっているようで、どうやら例外はないようです。

もし、「アルコールが入っていても霊降ろしができる」とか、「酒を飲んで神が降臨する」と豪語する人がいたら、それは悪霊を神様や天使と勘違いしているという普段から悪霊に支配されているような重度の霊障者です。

これは法則なので、「私は崖から飛んでも地面に落ちない」と言っているようものでしょう。

仏教などの修行僧の戒律で酒を禁じられているのはそのためです。

依存症の本当の原因

結論から言うと、依存の原因はずばり「人生観」です。

人生の価値観が「今」しかない人にアルコール依存という現象を引き起こす種があります。

人間は誰でも「楽をしたい」「楽になりたい」という誘惑に弱いものです。特に昼間の仕事が大変だったり、責任の重い仕事をされている方であればあるほど、その誘惑が心のどこかに必ずあります。しかし、その重い仕事の先に自分の理想がしっかり描けている人や、未来のビジョンが見えている人は「今」の快楽であるお酒に溺れるということはありません。

つまり目の前の現実である「今」しか見えていないと、どうしてもプレッシャーからの解放という誘惑に負けてしまうのです。未来が見えなくなることが誘惑に負ける要因です。

また過去に犯した罪の意識を忘れたい、嫌な記憶を忘れたいという自己防衛本能からも酒に直結します。

山口達也さんは、もともと甘えが強い部分があったと聴いていますが、離婚をされたこともあり心の寂しさや、満たされない現状に心がフォーカスしてしまって、未来・将来の理想を描くことができなかったのかなと思います。

アルコールに限らず、何かに依存してしまう時はたいがい、大きな理想、高い理想、目標を失ってしまったり、そうしたビジョンを具体的に描けない人の価値観が現実主義になってしまうからなんです。

アルコール依存症の根源的治療とは

アルコール依存症を根本から治療しようとするならば、先ず、人生の理想をできるだけ具体的にイメージして高く大きな目標を持つことです。

アルコール依存症とは、酒の飲まずにはいられなくなる状態ですが、治療すると言ってもたいていは見張りの人(医師)がついて断酒させ、段階を踏んで飲まなくても平気なように慣れさせていくのが普通でしょう。酒に対する考え方や、生活、心の面でのカウンセリングも導入されているようですが、あくまで酒を断つ、酒の飲み方そのものをコントロールするためのものなので、私からすると上っ面、表面上の指導しかできないのではないかと、効果のほどを疑問視しています。

そもそも、アルコールに依存するということは、その人の価値観で人生のあらゆるものよりも酒が勝ってしまっているということです。

アルコールを飲んで記憶が飛ぶような方は、その麻痺した状態が現実の辛さのすべてを忘れさせてくれる感覚がやめられないわけです。そのような肉体的快楽にハマるということは、現実逃避の深層心理があるからです。高尚な理想や目標という「向上心」と「現実」の両輪をしっかり見据えて生きている方の場合、そもそも酒自体に関心がなくなってきます。

付き合いで飲むことや、適度に自分をリフレッシュさせるために使うことはあっても、のめりこむ、ハマるということを避けるようになってきます。

山口達也さんもそうでしたが、入院していて、退院したその日に酒を飲むという行為は普通からすると考えられません。確かに病気、心の病気としか思えません。しかし、そうなるということはいかに「なんのために生きるのか」「なんのために」という意識がなく、ただ世の中で自分に起きる現象に反応しているだけの人生になっているということです。

そんな状態の人に、「酒を飲むな!」「もっと自分を向き合え!」「周囲のことを考えろ!」と叱るような事を言っても、むしろ逆効果なのではないかと感じます。

本人も、頭では「どうにかしたい」という漠然とした表面意識はあるものの、理想がないから目指すべき道がわからないのです。それなのに自己嫌悪と周囲からのプレッシャーだけが迫ってきて苦しい。苦しいからどうしても酒で紛らわせたい、という悪循環の心理になるわけです。

酒の麻痺、トランス状態なんかよりも、もっと素晴らしく熱くなれる夢を持つワクワクの感覚こそが最大の効果があるでしょう。

そのための周囲の手助けが要るわけですね。人生観そのものをもっと高尚化することです。

人は人生観が「今さえ良ければ良い」「現実主義」という短絡的で唯物的な思考になると、どんどん堕落していきます。こうした人生観だと「どうせ」「楽できればいい」という発想になってきて、酒に溺れたり、異性に溺れたり、次に麻薬に溺れたり、落ちるところまで落ちてしまうのです。

依存壁のある方は、人生観をもっと高尚で、時には「青臭い」と思われるような理想を具体的に描くことです。年配の方や、苦労が多かった方は、なかなかその青臭い理想を描くことができないかもしれませんが、そういう方であれば、現実主義でありながらもしっかり未来のビジョンと目標は描くようにしてほしいですね。

酒で失敗した人が次にとるべき行動

当然、断酒をして被害者の方、迷惑をかけた方々に素直に謝罪して反省するのが最優先ということは言うまでもありません。

その次にとるべき行動は、具体的かつ長期的な人生の理想を具体的に明確にして目標を立てることです。

それは人に言われたり、医師に言われて無理やり作るのではなく、自分がワクワクする最高の人生を沈思黙考してみることです。

とは、言っても山口達也さんのような有名人だと何をするにも周りが騒がしくなるでしょうし、人の目も気になるでしょうから、海外に行けるのなら海外へ行ってしばらく俗世を離れることです。もし経済的に海外に行けない方であれば田舎の親戚の家や、最悪自宅で引きこもり生活です。

酒やタバコは、別の面で言うと俗世の象徴でもあります。

ですから、売れて成功するとか、輝かしい実績を出すとか、人から賞賛されることを良しとする俗世的価値観から離れなければいけませんね。とはいえ、お坊さん生活はあまりにも現実離れし過ぎてしまうのでそれはお勧めはしません。

要点は、俗世のしがらみや、歓楽的なことを忘れて、もっと大きく雄大な視野と価値観を持つことですから。

断酒をすることについても、俗世で生活して、俗世の価値観を持ったままに酒を断つことは現実難しいでしょうし、精神的にも負担が大きいですよね。断酒にせよ、反省にせよ、俗世から離れる環境が望ましいです。

人生観を変えて酒での汚名を返上する活躍をイメージする

アルコール依存症の人には、ぜひこの世を超えた世界につながる世界があるこあとを知ってほしいと願います。

つまり、人生は死んだら終わりではなく、死んでは生まれ変わり、死んでは生まれ変わり、の繰り返しが永遠に続いていくストーリーだということです。

たとえば、大相撲の東京場所が終わったら、しばらくは稽古、巡業をしてまた、次の大阪場所が始まり、15日間過ぎて勝敗の成績によって次の場所の番付が変わるという仕組みに似ています。

また、F1レースで例えれば、良い順位の人は次のレースでは有利なスタート位置から戦える、という過去の頑張りが次のレースに継続して関係してくるような感じでもあります。

つまり、酒で大失敗をしたことは、その戦いでは大負けして大怪我をしたようなものかもしれません。立ち直るには厳しい状態に一時的にはなりますが、幸い人生には引退という終わりがないんです。

ということは、相撲で言うと0勝8敗と8日目に早々と負け越したとしても、その後挽回して7勝8敗にすれば、番付は1枚くらいしか下がらないかもしれません。しかし、そこでやる気がなくなって0勝15敗だとしたら番付は落ちまくって幕内から十両に落ちてしまうかもしれませんよね。

ですから、酒で取り返しのつかない過ちを犯したなら、それを挽回するくらい大きな社会貢献や、活躍をすることに目を向けるのです。ある意味で汚名を返上するというモチベーションをニトロエンジンとして、さらに躍進、発展、貢献をするという、永続的な人生を生きるという価値観に心を転換することが大事なわけです。

大きな過ちは人生の転機であるメッセージ

大失敗や大きな過ちを犯した場合、普通なら不運ととらえるでしょう。

しかし、人生は永続的ストーリーだという認識で診ると、人生の大切な何かを神様が伝えるためのきっかけとも考えられるわけですね。

特に山口達也さんのように、大失敗して社会復帰が難しくなる、会社を解雇される、など相手、社会のみならず自分にとっても大打撃を受けるよう状況になったなら、なおさら人生観を変える必要があります。

酒に関わる事件に関わらず、人生で失敗をした時は、しばらく凹んだとしてもその失敗が霞むほどの劇的な変化と成功する未来に目を向けることが大事です。

山口達也さんであれば、今までとは違う別路線のアイドルの生き方ができるかもしれません。酒癖、女癖が悪いというネガティブなイメージがつけばつくほど、何か真逆の善行をすることで評価が上がることもあるわけです。初めから良いイメージを持たれたアイドルですと、ちょっとの善行ではイメージアップとはならないでしょう。

私は個人的に、ビートたけしさんはバイク事故後から非常に深い器を持つ人間性が表面に出てきて、神様から見て良い方向に「変わった」と感じています。そしてこの世的な成功の面でも、映画監督として評価され世界の北野武にもなっており、運気は上昇しているようです。

山口達也さんも、あの強制ワイセツ事件後から、それ以前のTOKIO時代よりはるかに素晴らしく素敵な人間になった、山口達也として成功した、と言われるようになれるわけです。アイドルとしてではなく、別の才能を開花させる良いきっかけかもしれないですし、全く違った人生観で生きれるようになってはるかに幸福感を実感できる人生になるかもしれません。

人生の成功は、俗世以外の世界にいくらでもある

俗世という荒波は、自分の足りないところと伸ばすべきところを学ばせてもらえる修行場所です。しかしともすれば、この世だけで完結する「今さえ良ければいい」という価値観になりがちです。

そうした刹那的生き方をするようになると、酒や異性など簡単に得られる快楽にハマって抜け出したくても抜けられない状態に心身ともになっていきます。

人生は死んだら終わりという考えや認識でいると、極端な話、死ぬ直前にやりたい放題やればいいという考えにもつながります。明日死ぬと決まった時に、何をしようと思うかでその人間性が計られます。

この世に生まれた以上、人間は承認欲求という本能があるため、たいがいは俗世での成功を最高価値観としがちです。

しかし、大富豪になったり、会社経営で企業が世界的な大企業になることや、スーパースターになること、などの俗世的成功は、実はあの世に行った瞬間完全に逆転して何の意味も持たなくなります。

世界的な成功者よりも、田舎のおばちゃんの方がはるかに高い天国に行くケースは割とあるのです。

あの世で評価されるポイントは、どんな気持ちで生きたか?というところです。生き馬の目を抜き、自分だけうまくいく、スターになることを思いながら成功した人であった場合は、死んだ後は非常に評価の低い世界に行きます。そうしたところで「あれだけ人より頑張った俺の功績がなぜこんだけの評価なんだ!おかしいだろ!」と吠えているのです。

一方で、田舎から出たこともなく、大して大きな事はしなくても日々毎日に感謝して穏やかに生きた人は、執着がないのので霊体が非常に軽く、自然に天国と呼ばれる暖かく明るい世界に登っていきます。これはこの世的には何もしていないようですが、神様から見たら立派な成功者なわけです。

一見ドロップアウトのようでもどんな思いで生きるかで価値が上がる

このように、この世の執着から一歩引いて感謝と他人への愛に生きる生き方は実はなかなかできるものではありません。

芸能人はある意味、我が強くないとやっていけない職業でしょうが、山口達也さんのように大失敗をしたということは、人気、お金、異性、酒、食べ物、車、家、名誉などの執着を捨てて生きるという価値観に誘われている優待券をもらったとも考えられるのです。

人間の価値観と、神様の価値観には大きな違いがあります。

荒療治ではありますが、大失敗、事件かどで自分の地位も名誉も人気も金もすべて奪われた時は、天国ライフのチケットを手に入れたと思ってください。

このチケットを使って、この世でもあの世でも評価される神様が望む生き方を選ぶか、現状維持か、堕ちるか、元に戻ろうとするかのチョイスはあなたの自由です。

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