腰椎椎間板ヘルニアの手術を2回経験した筆者が語るヘルニア体験談シリーズ1話目です。今回は最初の体験で誤診から始まり、その後坐骨神経痛の激痛に2年間闘った腰椎椎間板ヘルニアの闘病体験をお伝えします。
目次
ギックリ腰の誤診から始まった
私は幼少時から腰の強さには自信があり、小学校1年生の時は一番身体が小さかったのにも関わらず学校内の相撲大会でクラス横綱に輝くほどでした。そのため34歳当時私は家族旅行で小学4年生となる長男とプロレスごっこをホテルでしていた際にも、ベッドで寝そべる長男をそのまま抱え上げようと中腰のまま相撲の釣りのように持ち上げたのです。その瞬間右のお尻に激痛が走り、膝をついてしまいました。
それまでの私は前述したように、腰の強さに自信があり実際一度もぎっくり腰をしたことがありませんでした。ですので、それがぎっくり腰なのか、腰の捻挫なのかすら自分でわかりませんでした。とにかく一瞬力が入らなくなり動けなくなったので、しばらく休み再度立ち上がろうにもやはり力が入らず立てません。「ん?これはおかしい・・・」と感じ、今度は根性と気合で立ち上がろうとしました。その瞬間、急に目の前が紫色のくらんで眩暈で気を失いそうになったのです。
この一連の様子を見て、妻が異変を感じてホテルに車椅子を借りに行き、旅行は即中止し地元の整形外科に急いで連れて行ってくれたのです。しかし、この時の町医者がよくなかったのです。見た目は優しそうな院長先生だったのですが、「ぎっくり腰だから2週間くらい安静にしていれば治るよ。」とレントゲンだけの診断ですませてしまったのです。
私は一度もぎっくり腰になったことがなかったので、「これがぎっくり腰というものか、随分痛いものだな。これではまったく自力で動けないじゃないか。」と、粛々と事実を受け入れるしかありませんでした。ですが、今考えれば明らかにぎっくり腰レベルの痛みではありません。一瞬気絶しそうになるほどの激痛と自力で身動きがとれず、文字通り這うように匍匐前進して移動しなければならず、特に最初の3日間くらいは本当に何もできませんでした。
尻と足首に変な痛みを感じる
当然、当時勤めていた会社を2週間ほど休んでその後なんとか動けるようになったので復帰しましたが、患部となった右お尻から右足首にかけてうっすら嫌な痛みは残っていました。その時は、その変な痛みが坐骨神経痛というものであることなどまったく知りませんでしたし、それがその時のぎっくり腰と関係しているものとも思いもよらないような感じでした。その頃私は某著名絵本(童話)作家の絵本講座に通っていたのですが、そこの顧問先生は椎間板ヘルニアの経験者だったので「それぎっくり腰じゃなくて、椎間板ヘルニアだよ!」とすぐに見抜いていたのですが、私は医者からはぎっくり腰と言われており、この時はまだ尻と足にちょっと違和感を覚えるていどでしたので、そんな大病とはまさか思いもよりませんでした。
私の仕事は清掃の現場リーダーでしたのが、指示をしつつも自分も同じように一作業員として動かなければいけない立場でした。そのためその痛みが気になりながらも作業員として完全に復帰し、バリバリ働いていました。しかし、どうもじわじわその尻の痛みや、足の痛みが悪化していき「なぜ足が痛くなるんだろう?」と疑問に思いながらもどんな動きが足の痛みを悪化させているかの因果関係がわからず、現場も人手が足りない状況でしたからとにかく肉体労働を続けていました。
清掃の仕事では、ポリッシャーと呼ばれる円盤型のパットをくるくる回して床面を洗浄したり、カーペットを洗浄する道具があるのですが、どうもその作業をするとその機材の重みと振動で椎間板ヘルニアがどんどんずれて飛び出てしまうようで特に痛みが顕著に悪化しました。そんな中、年末に差し掛かり作業は夜勤でのポリッシャー作業と日中のカーペット洗浄で私の負担は増す一方になりました。作業は身体への負荷がピークとなり、その頃にはびっこを引きながら作業をし、朝起きる時には激痛で10分くらいは身動きがとれないほどだったのです。
最初の8月のぎっくり腰から4か月目の12月頃です。その頃には、寝ている分には痛みは気になりませんでしたが、起き上がって立つと血流がぐわーっと下半身に行きわたるのと同時に右足の神経がこの世のものとも思えなほどの激痛に見舞われるようになりました。本当に死んだ方がマシというくらいの痛みで、さすがに会社に出社することも不可能だと感じたので、再度病院に行くことにしました。年末に差し掛かり仕事も忙しく、病院に行く時間もつくれませんでしたが、その時はもう会社を休み上司に状況を報告して精神的にギブアップ状態でした。
腰椎椎間板ヘルニアと診断されるも手術は100%ない?
さて、一応前回ぎっくり腰で行った病院へ再度診察を受けに行ったのですが、この時は私も坐骨神経痛の痛みを訴えたので、その町医者の病院内にある簡易式のMRIを撮影して診断してもらいました。するとやはり椎間板ヘルニアと診断されたのです。その時、最初からMRIを撮影して診断してくれたら4カ月前でも椎間板ヘルニアだとわかったのではないか?と疑問が生じました。
しかし、私の激痛とは裏腹に先生からは「この程度のヘルニアならさほど大きくないから2~3か月安静にしていれば痛みは気にならなくなる。手術は絶対ない。100%ない!」と言い切ったのです。私は当時一番恐れていたのが手術でしたので、気持ち的にはほっとしましたが、半面これほどの激痛が3か月で本当に気にならなくなるものだろうか?という疑問は拭えませんでした。
その後、治療といえば痛み止めの薬を呑み、週に何度か定期的に温熱治療と、牽引、電気治療とストレッチのリハビリをひたすらやるだけでした。正直言って痛み止めの薬以外の治療法は痛みが軽減されるどころか、血行が良くなればなるほど坐骨神経痛の痛みが増してまっずぐ立てなくなるような気がしていました。それでもまだその先生を、医師の診断を信じていたので気持ちで「なんか良くなったような気がする」と思い込もうとしていました。
とりあえず痛み止めを呑むことで、なんとか通常の暮らしはできるような感じでしたので、会社もまた出社するようになりましたが、今度はもう作業ができるような身体ではなかったので現場へ作業員を連れて行き、指示だけ出すといった感じの仕事を当面するようにはなりました。しかし、作業をしなくなり2か月経っても、3か月経っても一向に痛みが改善されている感じがしまんでした。
坐骨神経痛が深刻な痛みに発展し、治療院巡りの旅へ
同じ病院の先生に、「痛みがまだ全然良くならないのですが・・・」と相談しても、「完全に治るということはないから気長に気長に・・・」としか言われず、さすがに別の病院に行けばなんとかなるのでは?と思うようになりました。その後私は、最初のぎっくり腰から数えて2年の間、良い評判のある整体、整骨院、接骨院、鍼灸、などの治療院を遍歴をするようになったのです。
地元の整体では、一瞬良くなったかと思ったものの数回通ってもその後はなんの変化もなく、金額も高かったため続けられなくなりました。ネットの口コミで良いと呼ばれる整骨院も会社の上司の薦めで通いましたがこれまた大きな変化なし。次に評判の良い接骨院では痛みを気にならなくさせるサラシの巻き方を教わり、それは役に立ちました。しかし通うのには時間、場所ともに不便で、痛みの根本的な治療に関してはそれほど変化を感じなかったのでそこもやめ、針治療の名医のところに行きました。針はその日は嘘のように痛みが軽くなり、これは良いと思ったのもつかの間で2~3日ですぐに戻ってしまいやはり根本的な治療は難しいと感じました。
ゴッドハンドと呼ばれる有名な整体の先生のもとにも通いましたが、これまた変化なし。肩こりなど他の症状は確かに軽くなりましたが、肝心の椎間板ヘルニアおよび坐骨神経痛の根本治療は無理でした。そんな中、姉からブロック注射の名医を紹介されたのです。姉も同時期に椎間板ヘルニアを患い、その先生のブロック注射ですっかり痛みがなくなったというので、千葉から相模原とい遠距離ではありましたが、わらをもすがる思いで通いました。
ブロック注射の名医と出逢い、治療のヒントが得られた
先生曰く、「3回ブロック注射をして痛みが変わらなければ手術しかないよ」とのことでした。これまで2年間、できる限りの治療方法を試してきてさすがにこの時には「手術で治るもんなら、もういっそ手術してもらった方がいい」と思うようになっていました。ですが、その前にブロック注射で治るのなら・・・と一縷の望みにかけてみました。残念ながら3回のブロック注射と、幹部に直接打つ神経ブロック注射の計4回の注射をもってしても、私の坐骨神経痛は治りませんでした。
先生は、「じゃあもう手術しかないけどどうする?」と最後の判断を聴いてきたので、私は迷わず「もう手術で治るならそうしたいです。」とはっきり伝えました。「じゃあ、最新かつもっとくわしいMRIの情報が欲しいから、検査専門の愛川北部病院まで行ってあらためてMRIを撮ってきてください。」と言われ、MRIを撮るためだけにそこに行きました。
そこで撮ったデータを持ち、また先生のもとに行って見てもらったところ、ようやく私の腰椎椎間板ヘルニアがなぜここまでひどい坐骨神経痛にしていたかの理由がはっきりわかったのです。そして、最初の医者がなぜ「手術は100%ない!」と言い切るほどの誤診をしてしまったかの理由もすべてわかりました。
【ヘルニア体験記2話】につづきます。
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