マタイ伝解説「今は受けさせてもらいたい。このようにすべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」No.28

「今は受けさせてもらいたい。このようにすべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」

マタイ伝にあるこのイエスの言葉の解説を、書籍「イエス・キリストの真意」から解読してお伝えします。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

なぜイエスはあえてヨハネの洗礼を受けたのか

この言葉は、先に世に出て説法および洗礼をしていたバプテスマのヨハネのもとに、まだ無名のイエスが洗礼を受けに来た際に発した言葉です。厳密に言うと、洗礼する側だったヨハネがイエスを見た瞬時にイエスの神格を見抜いて、自分ごときがあなたに洗礼をお施すなど恐れ多いということで断ろうとした時にイエスが言った言葉です。

その後の歴史への影響力をみても、イエスはバプテスマのヨハネよりも霊格がはるかに高い存在であったことは明白でしょう。ヨハネにしても、イエスにしてもこのやりとりからして、この当時からお互いそうした認識はありました。

ではなぜ、イエスがあえてヨハネよりも下の立場のような形を取り、このような言葉を言ったのか。これは「イエス・キリストの真意」によると、まずイエスが神を信じる者であることを証明するシーンとして必要だったとのことです。つまり当時のイスラエルにおいて、基本的な大前提として「神を信じている人」というものが必要だったということでしょう。

「今は受けさせてもらいたい」の意味

この「今は受けさせてもらい」という言葉の中に、前述した信仰を持つ者、神を信じる者であることの周知の儀式としての必要性が感じられます。この言葉が一般常識的にも、何か理由があって今はそうさせてほしいと言ってるということは推察できるでしょう。

「このようにすべての正しいことを成就する~」の意味

「すべての正しいこと」というのは何のことだろうと考える人も少なくないでしょう。このすべての正しいことというのは、神の意志であり、神の計画でもあります。

イエスとヨハネに共通した使命とは、神の計画において真理を説いて人々の心を正しく神の御心に叶う方向に導くということでした。その計画において、二人の関係はイエスが横綱だとすれば、ヨハネは横綱土俵入りの際に横綱の前を歩く露払いの役割と言えるのです。そのため二人は同い年であったようですが、ヨハネの方がいち早く世に出て、イエスが世に出て神の心を説くために、下地作りにあたる作業をしていたと言えます。

ですからイエスが洗礼に来たというタイミングが、いよいよイエスがこれから満を持して世に出るという1つの合図でもあったわけです。これは神の計画通り、ヨハネからバトンタッチをする瞬間でもありました。当時あまりにも形骸化されてしまった神の教えを修正すべく、神の真実の御心を広めるということが「正しいこと」であったわけですね。

「われわれにふさわしいこと」の意味

これはその神の願いを成就するためにヨハネとイエスが計画通りに行うことを「ふさわしいこと」=「われわれの使命である」ということを暗に伝えていると言えるでしょう。

ヨハネはこの後、サロメによって公然と命を奪われることになりますが、そこまでが神の計画だったかはわかりません。しかし、まぎれもなくヨハネは救世主であるイエスの先駆けとしての役割を担っていたのです。そういう意味ではイエスとヨハネの関係は御大将と切り込み隊長という関係に近かったのかもしれません。しかし、イエスからしたら「われわれ」という言葉を使ったように同士であり、仲間という意識もあったのではないかと私は個人的に思います。

http://shiawasekyouyu.com/2018/03/02/post-61/

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。