天賦の才能を活かした成功を No.5

才能とは

人には本人が自覚している、していないに関わらずたくさんの才能が眠っています。

私には何の取り柄もないと嘆く人もいますが、それは自分を磨く努力を放棄しているか、または自分の能力を他人と比べて謙遜も含めて過小評価しているに過ぎません。

才能とは、まず関心です。

興味関心があることには何かしらの才能があると考えて良いでしょう。

たとえ他人から見て才能がある、能力があると感じられることでも本人が無関心であってはその才能が発動しないからです。

たとえば絵を描く才能があっても先ず本人が絵を描かなければ意味がありません。ピカソが絵の天才だとしても、1枚も絵を描かなかった生涯であったとしたら今日のような天才と呼ばれることはなかったでしょう。

別の視点から考えると、才能とは続けることができるものです。ピカソで言えば生涯の作品数は365日毎日1枚描いたとしても追いつかないくらいの作品量があります。

次に、他人との比較です。

天才と呼ばれる人は、人が10回練習してできることを1、2回やっただけでいとも簡単に成してしまうところがあります。

プロレスラーのタイガーマスクこと佐山聡さんもまさにそうで、通常なら何十回も練習してできるようになる技を2、3回練習しただけでできたそうです。

また音楽の天才モーツァルトも、幼い頃からピアノがズバ抜けてうまい上に作曲をして神童と呼ばれていました。

漫画の神様、手塚治虫先生も多作であったことは言うまでもありませんが、何より漫画を描くスピードが通常の漫画家より5倍は早かったと言います。締め切りが遅れることで有名でしたが、それは他の漫画家の10倍仕事を請け負ってしまっていたからです。

才能とは、まず継続できるものの中にある。そして人よりも早い、多いなど抜きん出たところにあります。

努力でどこまで才能を伸ばせるか

エジソンの有名な言葉で、「天才は1%の閃きと99%の努力でできる」とありますが、天才と呼ばれた人はたいがい人より努力をしていることも事実です。

大横綱と呼ばれる大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、白鵬などは例外なく猛稽古をしています。それに加えて相撲の研究を人一倍しています。

人より優れた才能があって、さらに人より努力するのですから驚異的な実績、結果を残すわけですね。

しかし、中には才能があっても本人の努力不足であまり実績を残さない人もいます。才能が10あっても、努力を1しかしなければ、才能が1で努力を10した人には勝てません。

努力とは単なる練習だけではなく研究、研鑽も含みます。

才能を放っておくと努力家に敗れる

とかく才能がある人は、その才能にあぐらをかいて努力ができない人は世に名を残すような結果を出せずに終わります。

ウサギと亀の話が良い例ですよね。

私の小学校時代の友人でスポーツ万能で短距離も長距離も足の早い人がいました。1年生の時のマラソン大会では1位。明らかに運動の才能がある人でした。

しかし次の年から年を追うごとに徐々に順位を落としていき、小学校4年生くらいだったか、7位にまで下がりました。

その時、何が起こったか。同じように足の早いライバルにたまたま負けたのではありません。ビリに近い順位からめきめきと上げていった友人がいたのです。その友人はなぜマラソンの足が速くなったか。

実はその友人、毎朝いつも寝坊して遅刻ギリギリのところを走って学校に通っていました。家から学校までの距離も学区内では一番遠い位置でしたので足が遅かった彼はそこで体力と筋力が鍛えられ、4年生の時にそのスポーツ万能の友人を抜いたのです。

ちなみに遅刻ギリギリの走りで鍛えた友人は、6年生の時のマラソン大会ではなんと2位になっています。

1年生の時に1位だったスポーツ万能の友人は、6年生の大会では記憶に残らないくらいの順位に落ちていました。

私も、自分で言うのもなんですが、小学校低学年の時はけして足は遅くありませんでした。リレーの選手にはなれませんでしたが補欠や補欠の一歩手前くらいでしたから普通か、普通よりちょっと早いかなという程度でしょうか。

しかし、小学校高学年になる頃には昔私よりも足が遅かった友人にどんどん抜かれていきました。

理由は、4年生から部活が始まり、当時キャプテン翼の流行りで、クラスで私以外の男子が全員サッカー部に入ったからです。

つまり、部活でみんな毎日走るわけで、めきめき速くなっていったわけです。ドロケイという鬼ごっこのような遊びをした時に以前ははるかに私より足が遅い友人に追いつかれショックでした(笑)。

私の足の速さは「才能」というにはお粗末なレベルですが、ここで言いたいのは生まれ持った能力だけでは努力してつけた能力に敗れてしまうということです。

能力があっても成功できない理由

人は能力があるから成功するわけではありません。

熱意、努力、才能(素質)の三位一体がないと続かないからです。これはおそらく一般的な成功法則で誰もが教えていることでしょう。むしろ当たり前の前提条件かもしれません。

しかし、これらの要素プラスノウハウ的な技術が備われば成功できるかといえばそうではありません。

人はその人の持っている素質を超えた一番の天賦の才能で勝負をしなければ、なかなかライバルに勝てないようになっています。

どういうことかと言うと、世の中には多才と言われる人や、幅広く何をやってもそつなくこなす器用な人がいます。他人からすると何でもできて羨ましがられますが、器用貧乏という言葉があるように何でもできる人は意外と何かに抜きん出るのは難しいのです。

また多趣味な人のようにあちこちに関心領域が広い人も難しいですね。

レオナルドダビンチは芸術家として超有名ですが、実は肩書きを書ききれないほど多方面の専門性がありました。

普通の芸術家であれば数字は苦手な人が多い中、彼は数学も専門としていますし、他にも幾何学や、天文学、物理学

光学などまさに万能人と呼ぶに相応しい多才ぶりです。しかもそれぞれの分野でも実績があり、超人か?と思うほど万能の天才です。

とはいえ、一般的なイメージとしては最後の晩餐などの画家としての活躍ではないでしょうか。それは画家としてはレオナルドダビンチに勝てる人がなかなか見当たらないからです。

もちろん、芸術は受け手の感覚、感性によって評価されるので誰が一番かなど決められませんし、順位をつける意味もありません。ですが、力量や現代の世界中の評価から考えるとレオナルドダビンチに対抗できるのはミケランジェロやピカソなど超がつくほどの芸術家で、最高レベルを競う領域です。数学者としてや、天文学者として、物理学者としてならダビンチを超える人はいると思います。

ダビンチは音楽も肩書きの1つでしたが、音楽ならバッハ、モーツァルト、ベートーベンなど、彼を超えると思われる音楽家は思い浮かびますよね。

霊界の様子を西洋において伝え、しかも膨大な記録を残したイマヌエルスエデンボルグも、万能型で霊界の分野に入る前には様々な分野で実績をのこしていましたが、人類の歴史の中では霊界の様子を著した事で名を残しています。

ダビンチや、スエデンボルグは、画家、霊能者以外でも十分当時成功していたと思いますが、後の世に名が残ったのはダビンチしか描けない絵、スエデンボルグしか残せなかった膨大な霊界記録です。

私たちからすれば、彼らの他の分野での成功は当時としては十分な価値に値しますが、最終的にはやはり人類史に残るほどの成功は「その人しかできない」ことだったということです。

 

無視できない人の宿命

人は誰でも、自分にしかできないことの中に成功の種があります。そこを軸に、前述した興味関心、熱意の心があり、努力、才能がついてきます。「才能」はもしかしたら結論として「自分にしかできないこと」と同じ意味になるかもしれませんね。

日本地図を作った伊能忠敬も、日本地図を作り始める前から、商人として、また村長として成功していました。しかしそこで終わっていたとしたら名前は残らなかったかもしれません。商売が成功した、村を危機を守り豊かにした、ということは誰でもできる仕事ではありませんが、他にいないわけでもありません。つまりそれだけならオンリーワンではありません。あの時代に精度の高い日本地図を作ったという偉業こそオンリーワンの実績でしょう。

例に挙げた偉人、著名人はスケールがでか過ぎるので、それを一般レベルで考えてみると、どんなに多才で器用な人でもその人しかない個性と特長を仕事にしないと便利屋のように人に使い捨てにされてしまうケースが多いということです。

特にサラリーマンとして大きな組織ではそうなります。それはその組織内ではそこそこ出世して重宝されますが、もしかしたらもっと大きな社会に貢献できる可能性を奪っていることかもしれません。

ダビンチのように、画家でありながら音楽もできるといって、音楽で勝負していたら、バッハやモーツァルトのような生粋の音楽家が出てきた場合負けてしまうかもしれません。

しかし最後の晩餐や、モナリザのような名作は他の生粋の画家でもなかなか描けるものではありません。だからこそダビンチと作品が後世に語り継がれているわけですよね。

世の中常識で生きることは、人畜無害にはなりますが、もしかしたらあなたの成功の種をコンクリートの下に埋めている行為かもしれません。

人間の才能は、神様から「おまえはこう生きなさい」というヒントでもあり、プレゼントでもあるので、これを無視した生き方をすると何かしら問題が生じます。

自分の本心とは違う生き方に対するストレス、病気等、なんらかの理由で仕事がスムーズにいかなくなるように宿命が運気を使って様々なお知らせをしてきます。

無視したまま生きることも可能ですが、それはダビンチが1人の数学者で終わったり、スエデンボルグが単なる学者で終わるような不完全燃焼の人生となるでしょう。

天賦の才能の見極め方

ではその神様からいただいた自分の武器はどうやって見極めるか?ですが、

先ず1つ。

自分が初めてやったことなのに、他の人が初めてやった時よりもうまくできること。

たとえば、初めて絵を描いたのに他の人より上手で褒められた、とか、初めて算数の計算を習った時に人よりも早く計算できた、とかです。普通ならこんな高くジャンプできないのに自分はできるとか。

そうした事を思い出していき、人ができないことで自分ができることを徹底的に洗い出してみます。自分ではなかなか気づかないことも多いので、自分をよく知る人に聴いてみるのもヒントになります。

2つ目は損得なしで続けられるものです。

マイブームで一時期は熱狂的にやるけど外界からの刺激がないとモチベーションが下がるものは天賦の才能とは言えません。よくあるのは若い時にバンドを組んでギターをやったが、歳をとって熱が冷めるともう何年もギター触ってないという状態になることです。

こうなるのは音楽で大成する宿命とは言えません。本物はやらずにはおれないくらいの冷めない思いがあることも条件ですね。

仕事だからやっているが、その仕事から外れたらまったくやらない、というものも天賦の才能とは言い難いですね。

お金をもらおうが、もらえまいが好きだからやる、とか、なんかやらずにはおれない、というものが見つかればかなりの確率で天賦の才能であると言えます。

言い換えればライフワークのように、仕事と趣味などのように境界線がない活動には何かしらその人の根幹にある欲求や使命が隠されているということです。

スターとなったプロレスラーは引退をしますが、たいがいの人は何年か経つと復帰します。往年のスターレスラーでも70歳を過ぎなおリングに立っている選手もいます。

まさに天職なんでしょうね。辞めたはずが、ついまたやってしまう。他のレスラーの試合を見ているとやらずにはおれなくなる。それだけプロレスラーという職業が魔性の魅力がある職業とも言えますが、辞めてもついまたやり始めてしまう、それが本物というものです。

3つ目は誰に反対されてもやめられないことです。

漫画の神様、手塚治虫先生は大学で医学を学んでいる時でもマンガを描いていました。先生から君は医者にならない方が良いと言われるほどマンガばかり描いていてよく注意されたそうです。

さらに言えば、マンガを描くこと自体を禁止されていた戦時中ですら隠れて描いていたそうです。これくらいの熱意があると誰がどう見ても漫画家以外の職業はありえないと感じますよね。

別の話で言うと、よく経営者や起業しようという人の判断、決断に対して周囲が揃って反対するのを1人断行したが大成功したというケースを良く聴きます。

周りがいかに反対したり阻止しようとしたりしても、本人の中にうずきがあって周囲の反対を押し切ってまでやるようなものには必ず何か強い意味があります。

たとえそれが失敗したとしても、そこには後々成功するための必要な経験が潜んでいたりします。ですから、それはやはりやるべき事なわけです。

理屈や理論よりも、心が命ずる事ほど確実なものはないのです。

以上の3つが見つからない若い人の場合は、ひたすらいろんな事をやってみることですね。いろんな事を経験する中で見つかっていきます。

年配の方でも遅くはないと思いますが、年配の方はいろいろ経験してきているはずなので答えはある程度出ていることが多いです。それは、普通の人として生きる宿命だったかもしれない・・・ということです。

それはそれで尊いことです。世の中には普通に生きられなくて社会に迷惑をかける人もいますし、普通に生きている人が多いからこそ社会は成り立っているわけですから。それは派手ではないかもしるませんが尊い事です。

今まで述べた成功の話は、けして社会的な成功だけを言っていたわけではありません。要は本人が自分の人生を完全燃焼できたかが重要で、それこそが人生の成功だと私は認識しています。普通の生活の中にも会社組織内ではその人しかできない事はたくさんあります。

ぜひ、誰もがその人にしかできない天賦の才能を活かして社会貢献していただきたいと思います。

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